金沢城 創建時は黒い城だった?
2018年12月20日
金沢城の創建時は黒い城だった?
金沢きもの花恋の目前
石川門が象徴するように
白を基調にした美しさを
誇る金沢城。
ところが、創建時は
「黒い城」だったという
説があるのです。
1631年の大火後に再建された
辰巳櫓(たつみやぐら)の
絵図とみられる金沢御城櫓図
では壁が黒く塗られている
からです。
再建した櫓が黒ければ、
創建時から黒で天守も
同じ黒だったろうと
いうわけです。
雪の金沢城
「天守は外壁に黒漆塗りの
板が張られ、金箔瓦を
使っていた」
と推測する専門家もいます。
一説には
豊臣時代の城は「黒」
徳川時代の城は「白」
とされています。
黒い城 岡山城
例えば
豊臣政権下の広島城天守は
「黒」に対し家康の建てた
名古屋城天守は「白」。
白い城の代表格
姫路城天守も家康の娘婿
が築きました。
徳川家は豊臣家の黒い
大坂城を壊し、真っ白な
大坂城を建てています。
見栄えを一新して
徳川の威信を印象づけたの
でしょう。
それに合わせるかのように
金沢城も「徳川色」に
変えたのかもしれません。