金沢城になぜ 天守閣がないのか?
2018年11月28日
金沢城になぜ
天守閣がないのか?
ここ最近、
暖かい日が続いておりますが
お着物で金沢を散策するには
丁度よい気温で御座います。
さて、ご来店のお客様に
よく聞かれるのが
「金沢城には天守閣が
ないんですか?」
金沢きもの花恋の裏庭的な
金沢城&兼六園・・・。
灯台下暗し!
早速ですが、
調べてきました。
お城に立派な天守が
造られるように
なったのは
織田信長が安土城を
設けたのが大きく
影響したといわれ
以来、武将たちが
権威を誇示するために
競って建てました。
しかし、何故か金沢城は
加賀百万石の大藩なのに
天守がありません。
一体、
どうしたわけでしょうか?
前田利常の
時代には天守は存在した!
これまでの研究では
どうやら藩祖前田利家の
時代には天守は存在して
いたようです。
天守をつくるために
使う鉄を福井県敦賀の
豪商に運ばせたという
手紙があり、
東北の大名の家臣が
天守に登ったことを
伝える資料もみつかって
いるからです。
しかし残念なことに
その天守は1602年(慶長7)
2代目藩主 前田利長の時に
落雷で焼失したようです。
翌年、天守ではなく
代わりに三階櫓(やぐら)が
建てられました。
金沢城三階櫓 復元CG
生きる知恵なのか?
ではなぜ天守では
なかったのか?
おそらく徳川の世になり
権力を誇張する天守
などはもはや必要なく
それ以上に、
徳川を刺激しないように
利長が細心の注意を
払った為ではないかと
専門家たちはみています。
外様随一の石高を
誇った大藩が家康や
幕府から再三、
謀反の嫌疑をかけられ
ながらも江戸の時代を
ずっと生き残った
知恵の一つが
「天守のないお城」
ともいえるでしょう。
ちなみに
天守閣という言い方は
明治前後から言われ
始めた天守の俗称の
ようです。